親と買い物に行く
私はペーパードライバーなので運転が出来ない。
今、頼りの夫は長期出張でいないので父に頼んだ。カインズホームに行くときには声をかけてと。それが今日。父と母と三人でカインズホームまで父の運転で行った。
近所の家が壊されているのを見て母が言った。
「あそこのおじさん、死んだんだね」
「そうなの?」
「長いこと入院してたから。一人暮らしだったし。家を壊してるってことは死んだんだよ」
「娘がいたんじゃなかったっけ?」と父。
「別に住んでるところがあったらいらんでしょ」と母。
ついうちの近い将来を想像してしまう。どうせあんたも壊すんでしょ、と言われている気がする。
車中ではお姑さんの話をした。
昨日電話がかかってきて今度の土曜日、甥っ子の誕生日会を開くんだけどナナちゃんも来る?という話。
いや、それ月曜日したじゃん、私が電話したときに。うっそ!あんた電話なんかかけてきたっけ?かけましたー。そんでケーキはお母さんが買うから買ってこんでいいよって言われましたー。うそー。ほんとー。それどこのケーキ屋さんて私が聞いたら名前は忘れたけど絶対おいしいとこって言いましたー。えー。
なんてやり取り。
「月曜日の電話の話を忘れちゃうなんて、大丈夫なの?」と母。
お姑さんと母は確かひとつ違い。
「さあ?酔っぱらっとったかもって言ってた」
年老いた人たちとの会話は常にふんわりとした不安感が漂っている。
「私も昨日歯医者行くの忘れてたし!ヤバいかも。平謝りで電話したよ」
なんてよくあることみたいにごまかしたりして、不穏な空気を打ち消してしまう。それがいいことなのか悪いことなのか。
高速道路の下の曲がり角で
「こっち行くとスミヤさんちだったな」
と父が言う。
スミヤさんちももうない。
父の叔父にあたる人だった。スミヤさん夫婦に私たちはとても世話になった。スミヤさんが元気だったころはここを曲がってよく家族で遊びに行ったものだ。スミヤさんが亡くなってから叔母さんは家を修理したり、最新式のトイレを設置したりした。スミヤさんは締り屋だったから叔母さんはお金のおろし方も知らない人だった。一人息子は家を嫌って全然近寄らなくて、叔母さんの電話も無視。一時期、父が叔母さんの足代わりをしていた。結局叔母さんは一人で住むのがつらくて県外の、自分の妹の住んでいる街へ引っ越してしまうんだけどマンションを買ってそれからすぐ亡くなった。
「俺もあと三年で80だしな」
と父が言う。
「え、そんな年だったっけ?」
と私。
スミヤさんが亡くなったのが80なのでそれを意識しているのだろう。
「やり残したこととか、これやっとけば良かったとかあるの?」
と聞くと
「ない」
と言った。
カインズホームのあと、カレー屋さんでランチを食べた。
スプーンを渡したら「ナンに付けて食べるからいい」と言われた。結果カレーがたくさん残ってしまい、つい「スプーン使わないから。も~もったいないな~」と言ってしまった。
「ノブさん(父の名)、少食になったからね」
と母に言われ、ああ、私はどこか時が止まっているなと思った。
ごめん。